うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ルドルフにイッパイアッテナ(3)

うたかたの恋」の真実

 の続きです。

 皇太子ルドルフが心中事件で亡くなったあと、

次の皇太子となったフェルディナント大公とその恋人ソフィーの話です。

フェルディナントは皇帝の甥で、

ふたりの結婚は「貴賤結婚」にあたるとして問題にされたそうです。

 

貴賤結婚=貴賤+結婚

身分違いの結婚ということは漢字からわかるのですが、

日本語に貴賤結婚という熟語はありません。

大奥で将軍のお手がついて町娘が出世するとか、

藤原氏が娘を天皇家に入内させるとかありましたね。

出自についてとやかくいわれたろうけど、

差別というのはなかったようです。


けれどヨーロッパでは身分違いにうるさかったようで、

独英仏語には「貴賤結婚」という言葉があるそうです。

貴族などとの身分違いの結婚で、身分の低い配偶者と、

その子どもは、称号、給付金、財産を継承できないことをいう

と辞書に記されています。

そういう決まりがちゃんとあって、

そういえば王室を去ったハリー王子が軍服を着れないとか、

いろいろわかりやすい「差別」がありましたね。

 

ヨーロッパの貴族社会では「貴賤結婚」は許されず、

ルドルフやフェルディナントが属したハプスブルク家には、

家内法、日本でいえば「皇室典範」みたいなのに

もしも貴賤結婚をしたらその子どもは

皇位の後継者になれないなどと明記されていたそうです。

フェルディナントの恋人ソフィーは

地方貴族の伯爵の娘で、

それなりに遺族じゃんって思うんですけど、

貴族にも序列があるってことです。

王室一家の結婚相手は、欧州各地の王室に直接つながる男女、

肩書きでいうと大公または大公女(君主一門の男女)

でなければならなかったそうです。

一般人のメーガンなんて論外も論外

 

さて、フェルディナント大公夫妻はサラエボで暗殺されて、

この事件が第一次世界大戦の引き金となると、

世界史で習いました。

実は車で移動中、爆弾を投げつけられて九死に一生を得たのに、

その同じ日、警備責任者がルートを間違えて

方向転換のために停車した場所が、

たまたまテロリスト仲間が、暗殺計画の失敗を知って、

がっかりしてお茶を飲んでいたカフェの前でした。

なんたる僥倖! とばかりテロリスト青年は駆けつけて、

あろうことかオープンカーのステップに上がって、

夫妻に向けて発砲するんですね。

クルマが前進を始めたとたん、

ソフィーが夫フェルディナントの胸に倒れかかる。

フェルディナントの方も、座っている姿勢こそ崩さなかったものの、

軍服の胸の部分が見る見るうちに血で赤く染まる。

やがて口の両端から血が流れ始めた。

それでもフェルディナントは愛妻ソフィーの身体を抱き締め、

「ソフィー、ソフィー、死なないでくれ。

 子どもたちのために生きていてくれ!」と叫んだ。

 仰天した随員が振り向くと、

フェルディナントは「大丈夫」と六回も繰り返した。

そして六回目にこと切れて、妻の遺体の上にくず折れた。

 ときにフェルディナント五十歳、ソフィーは四十三歳であった。

このへんの警備陣の不手際は、読んでいて、

安部元首相の事件を思い出しました。

あのときも1発目は外れたのに2発目が防げませんでした。

 

それで話は貴賤結婚に戻ります。

葬儀の際にも、妻のソフィーは差別されたということです。

フェルディナントの棺の上には、皇太子の王冠、

オーストリア陸車元帥の制帽、サーベル、それに大公の鉄兜などが置かれた。

しかし、妻ソフィーの棺はフェルディナントのそれより一段低い位置に置かれ、

その棺の上には扇子と白い長手袋が置かれただけであった。

一見して分かるように、これは宮廷に仕える一侍女の葬儀の格式である。

とまあ、貴族社会ってこういうわかりやすい差別をするんですねえ。

 

最後に、フェルディナントの叔母、

ルドルフの母である皇后エリザベート

暗殺で亡くなります。

実行犯のルケーニは判事の質問に答えて、

エリザベート皇后の生前最後の印象と、

暗殺の瞬間の状況を語っています。

彼女(皇后)は、あまりきれいではなかったね。

それに、とっても年をとっていた……

こんなこと言われたくなかったでしょうに。

ハプスブルク帝国の悲劇は

いまの東ヨーロッパの悲劇にもつながっていきます。