うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

寝ても覚めてもドライブ・マイ・カー

ドライブ・マイ・カー

アマゾンプライムで見ました。

「インターナショナル版」となっていますが、

別バージョンがあるわけではないみたいです。

 

事前になかせさんから退屈だったと聞いていて、

ネットの評判でも「何が言いたいのかわからない」

という声もあったので、

3時間は長いんだろうなと覚悟して見始めました。

ところがどっこい、最初からどんどん引きこまれていって、

次はどうなるのだろうとワクワクしながら見ました。

仕事がなければノンストップで見たと思います。

 

面白かったんです。

なにがどう面白いのか訊かれると思うんですが、

それがどうにもわかりません。

やむにやまれずしてしまったことはひとに説明できない

ということと同じで、この映画の面白さが説明できません。

映画評のサイトを見ればわかるのでしょうけど、

それはしたくなくて、

見終えたあと心にじんわり残った温もりを

ひとりで抱いていたい気がするのです。

 

「何が言いたいのかわからない」という評は正しいといえます。

「何が言いたいのか」を考えながら見るのが面白いという意味で。

 

この映画は暗喩(メタファー)の大きな森のように感じました。

妻のこの表情はなにを意味するんだろう、

このカットはなぜ挿入されてるんだろう、

ヤツメウナギの口はなにを象徴しているのか、

クルマが2ドア・サンルーフ付きなのには意味があるのか、

などとどんどん疑問がわいてきて、

その答えを想像しながら次の謎を見るのが楽しかったのです。

 

主人公は演出家・舞台俳優で、妻は脚本家。

彼らが10数年前に娘を亡くしたことが重要な設定になっています。

子を亡くした母が、その後の時間を生きる意味を、

部外者は想像するしかありません。

夫は夫で、娘を亡くしただけでなく、

妻をも失ってしまったのかもしれません。

喪失を抱えて生きる人たちの物語です。

それはこの映画を観るすべての人の物語でもあると思います。

多かれ少なかれ人はなんらかの喪失体験があるでしょうから。

 

いろいろ気づかされ、考えさせられる映画です。

知らない世界を垣間見るという意味では、

国際演劇の舞台裏がうかがえるということがあります。

それ以前に、演劇というものを初めて教わった気がします。

役者がその役を演じるというより、

その役を負わされた役者が、

ひとりの人間として舞台でどう生きるのか、

そして相手役と応答するなかでふいに現れるなにか、

――人間の真実というものを、

そこに居合わせた観客がたまたま目撃する。

演劇とはそういう芸術なのかという気がしました。

 

演劇が、人間の生というものの

やはり暗喩になっているのでしょう。

舞台でだれかを演じつつ、ある瞬間、

ふいに立ち上がってくる自分があるというのは、

それはふつうに生きていてもそうなんじゃないか。

運命に翻弄されるしかない人間、

それは台本にある役を演じる役者と同じです。

台本の人物を演じさせられながらも、

それでも自分は自分として生きていくのだと、はっと気づく。

ドライブ・マイ・カーとは、

そういう自分自身を前へ前へドライブしていくこと、

生きていくしかないということ。

それが人生だという意味なのかもしれません。

 

キーワードのひとつが「演劇」だったとすると、

もうひとつが「移動」です。

ホモ・モビリタスというように、人間は移動する生き物です。

主人公たちはスウェーデン製のサーブ900で

何度も移動し、最後には広島から北海道に渡ります。

移動とは時間と空間の移ろいを経験すること。

窓外を過ぎてゆく景色を見ることで自分の移動を意識します。

この映画には回想シーンがなく、過去は本人たちの言葉で語られます。

時間は前へ前へと進んでいき、過去は彼らの主観なのです。

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト

クルマは、なんでもよかったはずはありません。

クルマ移動の時間に主人公は妻が吹き込んだセリフを

カセットで聴いて、それに対して自分のセリフを返します。

そうやってセリフを自分のものにしていくのです。

サーブ900は生産終了から30年近く経つクルマだそうで、

それゆえカーオーディオとしてカセットデッキを装備しています。

このカセットも時間の移動を感じさせる道具だし、

ほかにLPレコードを聴く場面もあって、

これは主人公たちがアナログ人間であるという意味ではなく、

時間の移動にじっと耐える人という意味を与えているのかもしれません。

 

ドライブ・マイ・カーは、

「私のクルマを運転して」とも解せます。

主人公は愛車を否応なく女性ドライバーに託すことになるのですが、

そのことが主人公の物語を大きく変えていきます。

人間は自分ひとりだけで生きているのではなく、

自分という器をだれかに託すことでも生きている。

そういうことを相互にやって「生きる」ということが完結している。

そんなことも感じました。

 

今年はすでに何十本も映画を観ましたが、

この一本だけで十分満足といえる映画です。

どうしてもあのときの自分が赦せないとか、

あの人だけは赦せないとか、

ずっとわだかまりを抱え続けてきた人に、

この映画をお勧めしたいと思います。

 

本題と関係ないけど、栗原ひろみさんの好きな曲。

www.youtube.com