うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

どんなふうに歩く江戸の旅人たち

仕事に必要で読んだ本です。

資料はだいたい斜め読みなんですけど、

これは飛ばさず読みました。

副題があって

スポーツ史から見た「お伊勢参り

f:id:umeharanakase:20220210085612j:plain

江戸時代の旅が具体的なデータで分析されています。

いろいろと驚かされることが多かったです。

 

旅行って江戸時代の庶民にとってハードルが高いもの

と想像していましたが、

たしかにお金はかかるものの、

伊勢参りをしていた人が全国の庶民人口の

6人に1人もいたというのは意外でした。

伊勢神宮の手前にある川の番所の記録からわかるそうで、

それも3か月間だけの数字らしいです。

農民だと農閑期の冬しか旅はできないので、

その数字の4倍が1年間の人数にはならないみたい。

 

気になるトイレですが、

近在の百姓が家屋に近いところに

街道向けに小屋を建てていて、

そこで糞尿をためていたそうです。

旅人は用が足せて、百姓はタダで肥料が手に入るので

ウィンウィンの関係ですね。

ただし、街道は景色はきれいなのに、

鼻が不快だと訪日外国人は書き残しています。

 

当時、男性だと1日30キロから多い人で70キロ歩いたとか、

女性もそれより若干少ないくらいでした。

健脚でないと旅はできませんね。

杖の携行率は男性で3割、女性でそれより高く、

歩行のサポートもあったろうが、

アクセサリーの意味合いがあったのではと著者は推測しています。

 

当時の歩き方は、いわゆるナンバ歩きということで、

そのスタイルを訪日外国人はみんな奇異に感じていたようです。

草履や下駄をつっかけるので姿勢が前のめりになるのと、

着物の裾が邪魔で内股になることから、

歩き方も自ずとそれに合わせたかたちになります。

ただし、旅の道中では、着物の裾をからげたり、

股引や草鞋をはいたりと、服装や履物の制限のない状態なので、

そうなるとどんな歩き方だったかまではわからないとか。

 

面白かったのは駕籠かきの歩き方でした。

f:id:umeharanakase:20220210090047j:plain

大正4年に箱根山中でかごに乗った外国人が、

乗っている客は、顔の向いている方向に進まないで、

蟹のように、四十五度の角度で、

横に向かって進行する結果となる

と書き残しているそうです。

つまり駕籠の支え棒は進行方向に対して並行ではなく、

斜めを向きながら前へ進んでいったことになります。

また駕籠かき人足は、腕を前後にではなく、

左右に振るスタイルで歩きました。

これで乗り心地はどうだったんでしょうね。

 

もうひとつおかしかったのは19世紀末の東京。

ということなので、明治時代でしょう。

反射運動というようなものは見られず、

我々が即座に飛びのくような場合にも、

彼等はぼんやりした形でのろのろと横に寄る。

日本人はこんなことにかけては誠に遅く、

我々の素速い動作に吃驚(びっくり)する。

 

昔の人の歩き方、動作や習性は

いまとよほど変わっていたのでしょうね。

 

ちなみに旅日記というのが山ほど残っていて、

スイーツをいっぱい食べたとか、

この日は一日買い物にあてたとか、

現代のSNSと変わらない内容が書かれています。

なかには現代でいう風俗めぐりをしてどこがどうだったと、

事細かに記している男性の日記もあったとか。

何百年もたってから研究対象として読まれているとは、

本人も思ってなかったでしょうねえ。

なんのために書き残したのやら。