仕事で読んだのが、この絵本。
絵本やマンガは、手早く知識を得るにはとってもいいんです。
(台本にも口を出してるみたい)
芸のためなら女房も泣かす
という「浪花恋しぐれ」のセリフを思い出しました。
エジプトの将軍ラダメスは、王女アムネリスに仕える、
奴隷のアイーダに恋をしているのですが、
将来を嘱望されるがゆえに、アムネリスとの結婚を王から迫られます。
どう考えても悲恋に終わるしかありません。
この本によると、
ヴェルディはこのオペラを作曲している頃シュトルツに恋をしていたので、
妻のストレッポーニが非常に嫉妬をしていた。
その妻の心の動きをよく観察して
このアムネリスの音楽表現に利用しているかのようで、
よく聴くと、アムネリスの音楽のなかに
ストレッポーニの抑えに抑えた嫉妬と絶望感がよく出ている。
芸術家とは残酷なものだと思う
とあります。
「芸術家とは残酷なもの」の背景とは――
ヴェルディはジュゼッピーナ・ストレッポーニという妻がありながら、
20歳下のソプラノ歌手テレーザ・シュトルツに手を出すんですね。
ストレッポーニは激しく嫉妬しながらもシュトルツを家に迎え入れます。
下の解説を読むと、恋人=アイーダ、妻=アムネリスという
わかりやすい設定をしていて、恋人はハイcの出る絶頂期の歌手、
妻はもうハイcの出ない衰えた歌手という振り分けがされているみたい。
芸のためなら女房も泣かす
を地でいってる感じです。
でも、だからこそ、嫉妬するアムネリスの役割が大きくて、
真の主役は、むしろアリアを一曲も与えられていないのに、
ともすれば主役以上の存在感を発揮するアムネリスかもしれない。
と書いている本もあります。
しかし、ソプラノにはいろんな種類があるのですね。
勉強になりました。
アイーダ/ソプラノ
声としては中低音もしっかりと出るドラマティックなソプラノの持ち役なのだが、ヴェルディがテレーザ・シュトルツのためにミラーノ初演時に追加したアリア〈我が故郷〉がシュトルツの得意としたハイCを使っているので、一般のドラマティック・ソプラノにはここが辛く、ハイCの楽に出るリリコ(抒情的な声で可憐な娘役))の声だとその他の部分がきつく、難役である。
アムネリス/メゾソプラノ
声としてはメゾの役だが、ハイCの出ないドラマティック・ソプラノぐらいの方が歌いやすいほど、メゾとしてはテッシトゥーラ(特定の前後関係における音高のまとまり)が高い。つまり、ハイCの出るシュトルツと、かつてはハイCは楽々と出たがもう出なくなったストレッポーニと思ったらいい。