なかせさんが珍しく
純文学ってなに?
と訊いてきたので、それ以来、
はて、純文学ってなんだろうと考えたりします。
(検索すれば早いんですけどね)
難しくて読んでてもやもやするのが純文学で、
楽しくてわかった気になれるのがふつうの小説で、
芥川賞受賞作が純文学で、
直木賞受賞作がふつうの小説で……。
純文学と一般小説の違いって、
芸術品と工芸品の違いみたいなもんかしら。
歌でいうと、小椋佳のこれ。
疲れを知らない子どものように
時がふたりを追い越してゆく
という歌詞は文学的に感じます。
でも読めば理解できて、その通りだなあと納得できるから、
純文学的じゃないのかもしれません。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
これも文学的です。
1行目はわかるのに2行目がわかりません。
夜の底ってなに? と考えてしまいます。
ひっかかります。
ひっかかることで、ずっと純文学に近づいた気がします。
そういえばこういう本を前に読んでました。
キリコは拒否の言葉のかわりに、
ぴったりと足を閉じた。
閉じようとした。
しかし、その前に驚くほど強い力で、
キリコの両足は押し拡げられていった。
自分のいちばんやわらかい肉に、
今まで見たこともないほど固い肉が触れたのがわかる。
しかも、その肉はなにかを探して、
ぐるぐるとやわらかいまわりをさまよっている。
やがてそれは一点に止まった。
その肉は完全に一本の棒に変化していた。
(「星に願いを」/講談社文庫)
これはレイプの話ではないんです。
女性が触覚で感じた未知の体験を表現しています。
あれはどんな感じだったか、
もどかしい思いを言葉に変換しようとしています。
いわく言いがたいことは言葉にできません。
人はなんのために生きてるんだろ。
生きてきてなんとなしに空しいなあ。
そういうひとの気持ちでも、
世の中の有象無象のことでも、
永遠のことであれ一瞬のことであれ、
わけのわからないものを、
これなんだろうと考えて、
なんとか言語化しようとするのが詩とか純文学かしら。
それは○○ですと、言葉になって初めて腑に落ちるってことはあります。
名前がわかれば正体が明らかになるという、
あの「千と千尋の神隠し」もそうだったように。
人間はよくわからないこと、
もやもやな気持ちをどうにか処理したくて、
スッキリしたくて、言葉にしてわかろうとするのでしょう。
その超個人的な取り組みが、結果として、
だれもが追体験できるものになってたら、それが純文学なのかしら。
いや、やっぱりようわかりません。