うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

愛と性と存在に啓蒙された

赤坂真理小池真理子

ときどきこんがらがるんですよねえ。

全然違う人なんですけど。

こないだ読んだのがこれ。

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おもしろかったです。

蒙を啓かれる

とはこのことかも。

こういう方面についてはあまりに考えなしに生きてきたもんで。

 

「愛と性と」というタイトルに惹かれたわけじゃないですよ。

書評を読んだんです。

そもそも「生まれた性にくつろげる人」など存在するのだろうか。

という問題提起に興味を惹かれたんですね。

「セクシュアル・マイノリティは、存在しない」

って。

ほほーーーー!

 

よくドラマなんかに出てくる

「世界には男と女しかいないんだから」

ってセリフが、いかに大雑把な認識かというのがわかります。

近頃LGBTQという言葉を聞かない日はないですが、

そういう分類や定義づけが無意味なほどに、

人の「愛と性と存在」とはまさに人それぞれ。

「それは○○さんだ」というしかないほどに

個別バラバラなんだということが本書で指摘されています。

 

そのこと(この本の主題)について書いてもいいんですけど、

ほかにも取り上げどころがいっぱいあって、

(映画「ボヘミアンラプソディー」の話もいいです)

まずは上野千鶴子の2019年東大入学式祝辞について、

読んでいて、あっ! と思いました。

 

これって当時はどのメディアでも絶賛されましたよね。

本書ではこう書き出されています。

あるスピーチが、痛みとしてわたしに残っている。
それは、わたしが傷つけたくない人たちを傷つけた。
にもかかわらずそのスピーチは、とりわけ女性には、

拍手喝采さえされたものだ。

そのことも、わたしの中で痛みとなっている。

 

この祝辞で東大工学部と大学院の男子学生五人が、

私大の女子学生を集団で性的に陵辱した事件について話されます。

それに対して著者はこう述べています。

わずかな男性犯罪者のために、心ある多数の男性を傷つけてしまう。

東大男子生徒に犯罪者がいたのはたしかだ。

これをフェミニズム学会で言ってもいいが、

東大入学式で言うのは非道だ。

 

このあと女子の新入生がこの祝辞を聞かされる意味と

影響についても語っています。

それは男性への不信と憎しみの種の撒くようなものだと。

フェミニズム。それはいったい何なのか。

女を力づけるのに、男を貶めなければならないとしたら、

逆差別としては機能するかもしれないが、結局は分断を生み出す。

それを促進する学問なのか。

 

いまの時代、こういう疑問を投げかけるのは

かなりの批判を覚悟しないとできないことだと思うんです。

勇気がある人だなあと感心しました。

r25.jp

上のサイトではこの祝辞について東大生にアンケートを取っています。

7割は「よい」「どちらかといえばよい」という結果です。

(男女比は87人:13人)

 

祝ってはない。自慢じゃん

(男性、理II、東京都出身)

という意見もありますね。

 

いろんな人や国との違いを言い立てて、

対立構造をつくって両者を分断するような、

そういう言説があふれている世の中です。

そのなかで、本書の指摘はとっても新鮮でした。

 

ひとり一人みんな当たり前に違っているのです。

ぼくたちはそれぞれに切実で個別的な「性」を、

そして「生」を生きているのだと、

改めて思い知らされました。