NHKの「歴史探偵」って番組で、
「平安京ダークサイド」
という特集を見ました。
平安の京(みやこ)とは名ばかり。
ホントの「平安京」はそんな穏やかな町ではなかった!
「災害」「犯罪」渦巻くダークサイドシティだった、
という切り口でした。
いくつも面白いエピソードがありました。
メインストリートは立ち入り禁止だった!
京のメインストリート、朱雀大路は幅84メートル。
それが4キロにわたって都を南北に貫いていました。
大路の両側には高さ3~4メートルもの塀が立っていて、
その塀には大通りに向けて門がなかったのだそうです。
通りに直接出入りができないので不便です。
朱雀大路は延々と塀が続く道だったんです。
それは中国や朝鮮からの使節に見せるための大通りで、
一般人は(合法的には)歩けなかったんですって。
そのため逆に盗賊やホームレスがねぐらにしたり、畑にしたり、
違法に使われることが多かったようです。
平安京は真四角じゃなかった!
京都というと碁盤の目って思いがちですが、
実は碁盤のような真四角な町ではなかったとのことです。
平安京の西側の境界線である西京極大路と、
南の境界線である九条大路は交差していませんでした。
すなわち碁盤の左下の角は欠けていたということになります。
朱雀大路を境に東を左京、西を右京といいますが、
右京は川と沼ばかりで住宅地がありませんでした。
このため住む人がいなくて都の中心は、
左京へ偏っていったとのことです。
暴れ川は鴨川だけじゃなかった
権勢を誇った白河法皇が嘆いたほどに暴れ川だった鴨川ですが、
天神川もそうだったんですね。
ぼくは28歳から10年ほど右京区の西京極に住んでましたが、
大雨が降ると桂川はあふれそうでした。
河川敷に畑があったけど、そういうのも水面下に沈んでしまいます。
昔はもっとひどかったんでしょうね。
この桂川に注ぐ天神川(紙屋川)は当初、西堀川と呼ばれていて、
平安京をつくるときに物資を運ぶために直線化したので、
洪水が起きやすく、すぐに土砂で埋まってしまったそうです。
ちなみに紙屋川の名は、平安期に、川のほとりで
禁裏御用の紙を漉いた紙座があったことに由来するとのこと。
京は治安が悪く、たびたび群盗が有力貴族の邸を襲い、
金品を強奪したそうです。
いわんや一般庶民はどうやって生き延びたんでしょうね。
群盗は騎馬武者のようなかっこうでやってきたそうで、
その実力がどんなものか、馬術と弓矢の実演をした
磯部育美さんって女性がすごかったです。
ものすごいスピードで馬を疾走させながら、
馬上から真後ろを向いて弓を大きく引き絞る姿は圧巻。
こんな悪漢に襲われたら、ひとたまりもなさそうです。
磯部さんは日本馬の保存にも力を注いでおられるとか。
世の中には立派な志を持った人がいてはるんやなあと感心した次第。
平安京のダークな一面を知れただけでなく、
いまを生きる男前女子の活躍もうかがい知れて満足でした。