うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

大徳寺塔頭大仙院

母校、紫野高校は恵まれた環境の中にありました。

 

南には船岡山、北には今宮神社

テニスコートをはさんで、小堀遠州のお寺さんもありました。

 

そして極めつけは、東に在る大徳寺

入学かつかつラインにいた私を、中学三年のとき兄が珍しく

初詣に今宮神社に連れてってくれました。

 

勉強したら、こんな高校に入れるんやでと紫高を見せるのが目的でした。

見事ではなかったけど、小指一本でひっかかって入学することができました。

 

先日ブラタモリを見ていると、京都の石庭には白川の名前の由来になった

白い石が使われていると言うていました。

その時、ふと思い出したことがありました。

 

高校に入学して間なしのこと、

制服もなく、自由極まりなかった学校には、先生と生徒の

間に暗黙の了解がありました。

 

それは授業開始時間から15分たっても先生が現れないときは、休講にすると

いうものでした。

数学の来谷先生、渡り廊下を歩いてはるのが見えるのに、クラス全員

カウントダウンをして教室を飛び出しました。

 

行く当てもなく、喫茶店も不慣れな15歳。

女子5人で、大徳寺大仙院に走りつきました。

8時半、まだ観光客も受け入れていない時間だったけど、

紫高生に馴染みだった住職が招き入れて、おうすをご馳走してくださいました。

 

その時、石庭にあのラインを入れる作業をしていたの見せてもらった

私は「あれがやってみたいです」と言うとおっさんが

「ほな、まっすぐのとこをやってみたらええがな」とやらしてくださったのです。

 

後にも先にも、女子高生がやったのは私だけと違うやろか

 

 


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9分20秒当たりから、海にはいります。その一番手前建物より、往復ひかせてもらいました。嬉しくってねえ。

 

結婚して、子供を連れて拝観に行ったときに、

そのことを、おっさんにお話ししたんです。

 

「そんな時代もあったなあ」と

昔を懐かしむように言われいました。

 

ゆるい時代やったんやなあと、遠い目になる古希まじか。

 

 

あんな時代もあったねと~♪