ノンフィクション「孤塁 双葉郡消防士たちの3・11」を読みました。
孤塁とは最後に残された砦という意味ですね。
大震災があると全国から緊急消防援助隊が現地に駆けつけ、
応援をするのですが、3.11では原発事故がありました。
福島第一原発から10 km 圏内に屋内避難指示が出たため、
緊急消防援助隊は区域内に入ることができず、
現地の双葉郡消防本部、総勢125名は
単独で消防・救助活動を続けるしかありませんでした。
「孤塁」の所以です。
まだ癒えていない傷をこじあけるような取材のなか、
それでも淡々と語る消防士たちでしたが、
著者は、たった一度だけ、若い消防士が涙を流すのを見た
と「あとがき」に記しています。
「自衛隊やハイパーレスキュー隊のことは報道されたが、
双葉消防本部の活動だけが報道されず、
誰にも知られていなかったことがつらかった」
小さな消防本部が頑張っていたんです、と。
それこそこの本が書かれた理由なのでしょう。
たしかにこの本を読むまでは、地元の消防士の活動を知りませんでした。
マスコミは、原発から半径20キロ圏内にほぼ入らなかったので、
「双葉消防は何やってんの?」
と地元住民からも咎めるように言われたそうです。
しかし、震災が発生した3月11日から、
2交代制がとれるようになる16日まで、
すべての消防士が一日も休まず、24時間勤務を続けていたのです。
原発に近い4つの消防署を閉鎖し、
20キロ圏外にある2つの小さな出張所に移転したため、
仮眠をとろうにも、平らな場所で身体を横たえる余裕がありません。
廊下、車庫、書庫などにダンボールを敷き、
そこで身体を休めるという劣悪な状況で過酷な活動を続けました。
どの職員も自宅が避難指示区域にあって帰れなかったのです。
大震災に原発事故が重なることで、消防活動は何重にも困難になります。
被ばく防護しながらの消火活動は、痛みや不快感との戦いで、
日常的にマスクを着け続け、ゴムで耳にあかぎれができ、
化膿している状態でも全面マスクをする。
アタッチメントでも頭を締めつけられ、苦しくなる。
消火活動中、水しぶきを吸い込んで呼吸のための穴がふさがれたため、
目張りをした全面マスク内に酸素がなくなってしまう。
やむなくマスクを外し、息をする。
酸欠で倒れるか被ばくするか、という選択を迫られるのです。
印象的だったのは、原子炉の冷却要請が東電から来たときのこと。
消防長が部下に問います。
「地域を守りたいし、俺たちしかいない。
放射線に対する知識もあり、資器材もある。どう思うか」
そう訊ねられて職員たちは騒然とします。
「行けと言われたら辞表を出す」
「業務命令なら行くしかない。その代わり家族を一生面倒みてください」
吐き気をもよおし、その場で倒れた若い職員もいました。
全住民が避難したいま、一企業のために、
消防がここまでする必要があるのか。
国は、県は、出てこないのか。
消防は、特攻隊のようなことをしなくてはならないのか。
と隊員たちは苦悩します。
しかし、原発の冷却要請に葛藤していた彼らが、翌16日、
福島第一原発4号機で火災が発生した際は一転、
黙々と出動準備をします。
消防こそ自分たちの使命だという考え方が身にしみついて、
「火災、と聞けば、スイッチが入る」
消防士の性(さが)がそうさせるのです。
放射線被ばくのリスクのなか不眠不休で活動している消防士が、
一時の休日を得て、福島市の体育館に避難している家族を訪ねた際、
周囲の人から放射能汚染を持ち込んだのではないかと疑われ、
スクリーニング(除染)証明書を出すよう求められる場面も印象的です。
「我々は汚物ですから」と自嘲する消防士もいたというのは、
コロナ下で頑張っているエッセンシャルワーカーの人たちが、
排除・差別される構図と似ています。
これほど過酷な状況下で、
それでも現地に赴かなければならないとしたら、
その任務はいったいだれが負うべきなのでしょうか。
ふだんから震災や原発のことを考えることはまれにしかない、
(考えたとしても一日数十秒くらいの)ぼくですが、
この読書のときだけは1日数十分、福島に思いをはせました。
「孤塁」というタイトルからMFQの「砦を守れ」を思い出したけど、
それよりブラフォーの「遥かなるアラモ」がふさわしいかも……。