うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

矢印の話

矢印

といえば、こういうのですよね。

でも、これじゃない矢印の話が、

本に出てきました。

「武器が語る日本史」はタイトル通り、

弓矢から戦車まで、武器を通じて

日本独自の文化を考察するといった内容です。

この著者の本はテーマに興味があってよく読みますが、

独特の言葉遣いで凡人には理解が難しいのが難点なんですけど。

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中ではいろんな合戦の話が紹介されていて、

そのなかに「矢印」が登場します。

平将門は流れ矢が内兜に当たって陣没したとされている。

そしてその大手柄を立てた射手の姓名は明らかではない。

 

平将門が死んだのは平安中期の940年で、

このときはまだ「矢印」はなかったようです。

矢印が史料に登場するのは、鎌倉時代に成立した「吾妻鏡」からで、

それによると、

石橋山合戦のとき源頼朝の鎧に命中した矢の口巻き

――くつまき、沓巻。鏃(やじり)の前端、鏃(やじり)の根を差し込んで糸を巻いた部分――

名字が記されてあったので、

射たのは山内滝口三郎経俊だとわかったのだそうだ。


というふうに、矢には一本一本名前が記されていたそうです。

平家物語」には漆書き、「太平記」には、矢柄(やがら)に小刀で、

射手の名前を彫り付けてあった事例が語られているそうです。

武者たちが正装して出陣するとき、携帯する矢数は24本から30本強。

まず40本も50本も持ち歩いているような描写は軍記物には出てこない。

その程度であれば、一矢ごとに名前を書いておくことができただろう。


で、そうした矢に記入された射手の名前のことを、

江戸時代の軍学者山鹿素行が「矢印」と呼んだとのこと。

いまでいうボウリングのマイボールみたいなもんですかね。

(全然ちゃうか)

矢印は自分の手柄を証明する大事な証拠だということです。

その証拠をさらに補強するために、

矢叫び(やたけび)――「えたりやおう!」と叫んだり、

矢声(やごえ)――「ヤーーー!」と声をあげる習慣もあったそうです。

 

その習慣は鉄砲の時代になっても続くのですが、

大規模な合戦になれば、そういう声は

戦場の絶え間ない騒音の中でかき消されるので、

飛び道具が得意な武者たちは、必ず中間を引き連れ、

中間をレトリーバー犬のように走らせて、

遅滞なく証拠の手柄首を確保させねばならなかった。

とのことです。

戦がまだ日本人同士の間で済んだ時代のお話でした。