うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

本能寺の変なとこ

NHKの大河ドラマ麒麟がくるの最終回をやっと見ました。

Netflixの「ラスト・キングダム」が面白過ぎて、

どうしても後回しになってまして。

 

こういう終わり方でしたか。

最後はバタバタって感じですね。

コロナだからしょうがない部分もあったのでしょう。

 

本能寺の変のシーンは既視感があります。

だいたいどれも同じ展開です。

信長はなんであんな目立つところに立って弓矢や槍で戦うのでしょう。

しかも真っ白の帷子(かたびら)姿で。

あれじゃ、狙われ放題じゃないですか。

 

なんですけど、朝日新聞の記事によると、

加賀藩兵学者が、古老らから聞き取ったエピソードを

本能寺の変の87年後に書き残してるんですって。

「乙夜之書物」って文書です。

”いつやのかきもの”ってタイトルがいいですね。

「乙夜」ってのは午後9時から午後11時ごろを指すそうです。

この時間帯に書き留めた文書ってことですね。

日中の勤めを終えての夜の執筆が著者の楽しみだったのかも。

 

信長公白キ御帷子ヲメシ、ミダレガミニテ出サセタマイ、

信長公は白い帷子を着て、乱れ髪でお出ましになられ、

御弓ニテ庭ノ敵ヲサシ取引ツメ、射タマウ御弓ノツルキレタリト見エテ、

弓で庭に押し寄せた敵を引き付けていたが、弓の弦が切れたと見えて、

御弓ヲナケステタマイ十文字ノ鑓ヲ取テセリ合タマウ、

弓を投げ捨て十文字槍を手に取ってやり合った。

然所ニ御手ヲ負ハレタリト見エテ、白キ御帷子ニ血カヽツテ見ユル、

しかし、手に傷を負って、白い帷子に血がかかったと見えて、

御鑓御ステ奥エ御入、ホドナク奥ノ方ヨリ焼出タリ

槍を捨てて奥へお入りになられ、ほどなく奥の方から火の手が上がった。

 

ほぼほぼドラマどおりのことが書かれていますね。

しかし、自ら槍をふるって直前まで敵と至近の距離にあって

最後はどうして一人きりになれて、

(ときには舞いを少々踊る余裕があったりします)

自害できたのでしょう。

 

加賀藩士が、本能寺の変から逃げ延びた女房から聞いた話として、

次のような信長の最期も記されているそうです。

信長公御手ヲ被負ケルト見エテ、アケニナツテ御居間エ帰リタマウ、

信長公は手に傷を負ったらしく、(明け方ごろ?)居間へ戻った、

御ダイ所ノ方ヨリ燃出タリト見エテ、ケムリ来ル、

台所から出たとみられる火で煙が近づいてきた。

信長公イカゞ思召タルカ、タゝミヲアゲテ四方ニ立カケタマウ、

信長公は何を思ったのか、畳を四方に立てかけて、

女房達四五人在リツルヲ、何モ出ヨ出ヨトノタマウ

そこにいた四、五人の侍女たちに「いずれも出よ、出よ」と命じられた。

 

最期を迎えようとした信長が逃げ遅れた女たちを部屋から追い出し、

切腹したということですね。畳を立てたというのは防御のためか、

自身を遮蔽するためか、それとも床下に入るため?

 

細川家の史料「忠興公譜」には、

御最後之時は、常之二帖ほとあつき畳を山形なりにたてかけ、其下へはいり、

最期のときは、2畳ほどの厚い畳を山形に立てかけ、その下に入って

さいと云女房手燭に火をとほし持たるを、こちへをこせとて、

「さい」という侍女が手燭を持っていたのを寄こせと言って、

取て火をつけ、焼死給ふとや

取って火をつけ、焼死されたと。

 

手燭(てしょく)というのは、

手で持ち歩けるように柄を付けた蝋燭を立てるための台

ということで、ロウソクの火を畳につけたようですが、

そんなにすぐ燃え上がるもんでしょうか。

畳の裏は火が付きやすいものなのか。

 

しかも死体が見つからないのが謎です。

完全に燃え尽きたのでなければ、

あるいは見分け不能なほどに焼けたのでなければ、

現場から遺体を運び去ったということになります。

そういう工作のできる家来がそのとき生存していたということですね。

僧侶がこっそり運び出したという説もありますが、

それは首だけ? まるごと運び出すのは難しそうです。

 

麒麟がくる」では、

世を平らかにする仕事は家康に託して、

自分はそのための道筋をつくったということで

光秀は満足しているように見えました。

だとすると信長ひとりを排除すればいいのでは? 

と思います。

息子の信忠も父と同様の考え方をもっていたようには描かれてない

というか、そもそも信忠がほとんど出てきませんでした。

一方、光秀の描かれ方を見ていると、

息子の信忠まで手にかけるような人物ではありませんでした。

ウィキペディアによると信忠は、

二条御所の縁の板を剥がして自らの遺骸を隠すように命じたという。

父同様、その首が明智方に発見されることはなかった。

とありますね。

 

麒麟がくる」、いろんなことをとっちらかして

無理やり終わった感がありました。

最後にキングギドラみたいな麒麟が登場して、

一声鳴いたりするとびっくりしたんですけど、

そういうこともなく……。

 

さて、「麒麟がくる」が終わったあとに、

「五輪がくる」んでしょうか。

あるスポーツライター氏のコメントによると、

IOCと対等に渡り合えた人物は森喜朗会長以前にはなく、

アメリカのNBCテレビのような

大手メディア・スポンサーが牛耳るオリンピックの現状を、

少しずつアスリートファーストの方向へ動かしていたんだといいます。

それでもいまは多様性を重んじる社会なのですね。

一方で、それは単なるお題目のようになって、

自分と相いれない意見や価値観を排除する不寛容なムードも

感じたりします。

コロナも去り、男女が平らかな世になって

「五輪がくる」になるといいのですが。