ジャズっぽいとかロックぽいとか、
感覚的に思ったりしますが、
それがどういうことなのかを言葉にするのは難しいものです。
とりわけぼくらにわかりにくいのがパンク。
10年以上前、音楽好きの方々が集まる掲示板に、
パンクバンドとしてセックス・ピストルズの名前を挙げてコメントしたところ、
ピストルズをパンクの代表のように言うのは、
知ったかぶりをするオヤジによくあることで、
ピストルズは本物のパンクじゃない
と書かれて、いたく傷ついたことがありました。
パンクなるものがよくわかっていないくせに、
海千山千の音楽オタクが読むスレッドで、
軽い気持ちで発言したことを後悔したものです。
(では本物のパンクかどうかだれが決めるの?)
そんな苦い経験が過去にあったもんだから、
宮藤官九郎が雑誌「DIME」のインタビューのなかで、
セックス・ピストルズとかザ・クラッシュとか
初期のパンクバンドを後追いで聴いていった世代なので
と発言していることに、大いに気を良くしたものです。
宮藤官九郎は、「アイデン&ティティ」(麻生久美子がよかったです)と、
「少年メリケンサック」(未見)という音楽もの映画の脚本を書いています。
パンクとは、”だれもやっていないことをやる”こと
パンクとは、”刹那的なもの”
という言葉がインタビューで飛び出します。
おもしろいのは、以下の発言。
パンクな人は、そもそもパンクを聴く必要がないと思うんですよね。
(中略)
たとえば、学校で一番悪い先輩の家に遊びに行ったら、
そういう人に限って意外とチャゲ&飛鳥とか工藤静香とかを
聴いてるじゃないですか(笑い)。
あれは、ちょっと破綻した人たちだから、
整頓されたものに憧れるんじゃないかな。
なるほどなあ。
ぼくも整頓されたものに憧れるよなあ。
ってことは、ぼくってパンク?
ロックもパンクも精神のことだと思っています。
ロックという精神があり、パンクという精神がある、と。
ちなみにフォークは精神ではなくスタイルであり、
サウンドかなあ、ぼくのなかでは。
フォークっぽい人とはいわないので、
フォークは音楽のスタイルに限定される気がするのです。
音楽的にあまり高度で複雑じゃない、
だれもが口ずさめる歌がフォークかなあ。
フォークは歌詞を大切にするっていいますけど、
そんなのどんなジャンルでもそうあるべきって思いますよね。
ただ歌詞が聴きとりやすい音楽スタイルではあります。
で、アコースティックギターの入ってない音楽はフォークじゃない。
だけど五輪真弓がピアノで弾き語る「少女」はフォークかなあ、
ケツメイシの「トモダチ」はフォークの香りがするなあ、
とすぐに境界があいまいになってきます。
ロックもパンクも、その人の”あり方”、
”たたずまい”を表現するときに使いますね。
それらは音楽スタイルのことではないので、
アコースティックギター一本でうたっても、
ロックであったり、パンクであったりするわけです。
「ロック」はほめ言葉ですよね。
フォークと分類されていた人の中にも、
ロックを感じる人がいます。
宮藤官九郎は、パンクに惹かれ続けるんだけど、
で、作品もパンクだと評価されるんだけども、
自分自身はパンクではないと、ちょっと謙虚に発言してるのかもしれません。
あるいは、俺はパンクだぜっていうのは最もパンクじゃないのかも。
とまた、深く考えもせずに
パンクとかロックとかいう言葉を使ってしまって、
墓穴を掘ってる気がしてきました。
うめはらなかせはフォークデュオです。
「アコースティックギターの前にすべての曲は平等である」
がバンドのコンセプトと言いつつ、ジャズやボサノバはできません。
”だれもやっていないことをやる”つもりはあっても、
パンクでもロックでもありません。
お笑いバンドと思ってる人は多いです。
以上、本日の日記終了。