という日経の記事(5月ごろ)を読んで一抹の寂しさを覚えました。
ぼくは長年、親指シフトキーボードの愛用者でした。
最初の出会いは、1982年でしたか。
100万円を切る低価格ワープロ「My OASYS」が、
勤めていた会社に導入されて、
いちばん若かったぼくが使うことになりました。
低価格といっても1台75万円で、
親指シフトでは1つのキーに文字が2つ割り振られていて、
親指を同時に使うか使わないかで打ち分けます。
ローマ字入力より速く、考える速度で打てるというふれ込みでした。
ぼくの考える速度は遅かったので、ちょうどよかったです。
その後、独立して型落ちの「My OASYS2」を
半値の24万円で買いました。
かわいいでしょ?
フリーライターとしてはかなり早い時期での導入で、
受け入れ側の印刷会社などはまだ
テキスト入稿を受け付けていませんでした。
いよいよテキストデータでくださいといわれたときも、
メール(当時はパソコン通信)が始まってなくて、
会社までフロッピーディスクを持っていかないといけませんでした。
ファックスより手間がかかってるわけで、意味ないなあ。
ワープロというと清書用と思われていた時代です。
ぼくにとってワープロは試行錯誤しながら文書作成ができる、
考える道具だったのですが。
親指シフトに慣れてしまうとJISが使えそうな気がしなくて、
ウィンドウズ95が出てからもかなりの間、
原稿作成はワープロ専用機でやっていました。
ワープロで打った文章をMS-DOS変換して、
フロッピーでパソコンに移すのです。
パソコンで使える親指シフトキーボードも買いましたね。
キーボードだけでなく入力ソフトも必要で高くつきました。
しかし、使い心地がワープロ専用機と微妙に違っていたので、
ほとんど使うことなく、箪笥の肥やしとなりました。
いまではJISキーボードの1本指打法で、
文字を打ち込んでいます。
物書きのプロなのにブラインドタッチじゃないんですね
とか揶揄されつつ。
思い出はいろいろありますが、
会社の女の子にワープロを教えたことが印象的でした。
ピアノを連弾するようにワープロの前に並んで座って、
ぼくが見本を示して女の子がそれを見て打つという方法です。
最初のうちは同じ文章を繰り返すだけだったのが、
慣れてくると、ぼくの質問に対して彼女が答えるというかたちで、
まるでチャットのようなやり取りになって、
これがとんでもなく楽しくて興奮したのを覚えています。
そんなワープロのOASYSですが、
デスクトップ型からラップトップ型、ノート型まで、
これまでに10台くらいは買ったと思います。
で、うちにはまだ2台あります。
原稿が入ったフロッピーがいっぱい残っていて、
捨てる気になれないんです。
いつワープロを使わなくなったのか覚えていません。
2000年代の初め頃だったかなあ、その前かも。
親指シフトキーボードはいまでもまだ打てるかしら。
やってみないとわからないのは、
自動車のマニュアルシフトと同じですねえ。