うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

100分以上deモモ

ミヒャエル・エンデの「モモ」、

40年近く本棚にあったんです。

もはや紙は茶色く変色してました。

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毎晩寝る前に10~15分ずつページを繰って、

やっと最近読み終えました。

読むのに数百分以上かかったと思います。

ちょうどNHK「100分de名著」で

取り上げてたんですね。

最終回だけ見ることができました。

 

時間どろぼうの話ということは表紙にも書かれています。

「時間」はぼくにとっても興味深いテーマです。

社長インタビューとかあると、こっちはさんざん待たされるんですね。

社長さんの時間は貴重で、ぼくの時間は有り余ってるみたいな扱われ方です。

お金持ちは雑務はひとに頼めるし、ちょっとの距離でタクシーも使える。

お金があると時間だって買えるんなんだなあと

しみじみ思ったものです。

 

だけど、社長さんは分刻みのスケジュールに追われてて、

ぼくは待ち時間の間にぼーっとあほなことを考えてられるわけです。

社長さんもぼくも同じ人間と考えたら、

どっちが豊かな時間の使い方をしているか断言はできません。

 

ぼくは、時間=余命だと考えています。

時間はまさに命なんです。

だれかと同じ時間を過ごすということは、

その人に自分の命を捧げることと同義なんですね。

だからといって恩着せがましいことを

だれかさんに言うつもりはありません。

 

人生は壮大な暇つぶし

今東光が言ったそうで、だとしたら、

暇つぶしに、いいも悪いもありません。

 

と、話は横道にそれましたが、

「モモ」は王道のファンタジーでとくに言うことはありません。

「100分de名著」の中で、心理学の先生が、

「受動から能動への転換」と「自然(じねん)」について話していて、

なるほどなあと思いました。

それらはモモが行動を止め、眠りに落ちた後、

物語が新たな局面へと動き出していくことについての解説キーワードです。

 

必死で頑張ろうとしてたけど、

一休みして様子見をしているうちに、

道が開けるってこともありますね。

いったん受け身になることで前向きに動き出せる時が来るというか。

 

もうひとつの「自然(じねん)」は、

「自(みずか)ら」と「自(おの)ずから」の組み合わせで、

やはり道が開けるということ。

自分から頑張って努力していると、

いつのまにか環境が整って物事がうまく運ぶこともあります。

自力と他力がバチっと出会う瞬間みたいなのがあるんじゃないでしょうか。

そんなタイミングがいつか来るかもしれないと

ワクワクして力を蓄えつつ待つ時間は人生を豊かにしてくれます。

 

年を取ってきて思うのは、子どもの頃の時間が

とてもゆっくり過ぎたのに対して、

いまでは時間が飛ぶように早く過ぎ去っていくということ。

これはどういう理屈によるものなのでしょう。

それともうひとつ、

これからはあちこち体の痛みを抱えながら時が過ぎることでしょう。

そういう痛みの時間が堪えがたくなったら

人はどう受け入れればよいのでしょう。

モモに訊いてみたくなりました。