このところ「カザラッカコンサート」が続いたので、
今日はちょっと気分転換です。
時代小説「覇王の番人」、ようやく読み終えました。
「ようやく」というのはつまらなかったからじゃなく、
上巻を読んでから何年も読書習慣がなくなっていたから。
でも最近、寝る前のテレビをやめて読書を復活させたので、
この下巻、するすると読みました。
面白かったです。
作者の真保裕一、すごいです。
史料の漁り方も広範囲で、文章表現も格調高いです。
(と思います)
この時代について知識があればもっと楽しめたかと思います。
内容は一言でいえば明智光秀もの。
同様の小説で「信長の棺」を読んだことがありますが、
あれよりはエンターテインメントに振ってるかなあ。
いや、「棺」は読んでからかなりたってるので、
もう忘れてます。
なのでどっちともいえません。
近衛前久……ここらをだれの味方(敵)とするか、
だれとだれをどう組み合わせるかで、
物語の展開が決まるようです。
本書の核となるのは――
歴史は勝者によって描かれていく。
山崎の合戦で敗者となった明智光秀は、
その勝者である秀吉を賞賛するためだけの人物へと
貶(おとし)められていったのである。
しかも、本能寺の変には、どうも謀略の匂いがしてならない。
という作者の問題意識です。
さて、なぜ光秀は謀反を起こしたのか?
そしてなぜその謀反はあっけなく破綻したのか?
細川ガラシャの死の真相は?
その答えがすべてここにあるのです。
本書では明智光秀=〇〇〇〇説が登場します。
さて、これ、だれだと思います?
気になる方はご一読あれ。
次の大河を見る前の「予習」になること請け合い。
帯の文句はキャッチ―ではありますが、
本書の核心部分とはいえません。
今日の日記のタイトルもキャッチ―ではありますが、
内容とはなんの関りもありません。