うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

聴いたぜ、ジッパーズ

昨年のクリスマス会でごいっしょしたジッパーズさんから、

オリジナル4曲入りのCDをいただきました。

つくるのにお金もかかっただろうに、

ああいうお酒も入った会場で手売りしたりしないのが

ジッパーズさんの謙虚で、上品なところですね。

昨日ようやく聴くことができました。

 

知らない方のために解説すると、

ジッパーズは大阪のバンドです。

40代の「若者」で、ギターとフラットマンドリンのデュオ。

ときどきしか活動しないので、めったに聴くことはできません。

 

これがアルバムジャケット。

f:id:umeharanakase:20190104091153j:plain

「未遂」ってタイトルがいいですね。

まだなにごとか成し遂げたつもりになってないってことかしら。

 

ジッパーズの魅力は言葉とリズムが結合しているということです。

ぼくら世代が慣れ親しんだ、

歌とはメロディーと歌詞でできていて、

歌詞は意味や感情を伝えるもの、という常識がありません。

 

王将の餃子と廻れ寿司とカプリチョーザでいい夢見てる

タバスコり タバスコり タバスコり

(うどんエレジー

 

この歌詞を聴いて、タバスコりに気をとめる人はいないでしょう。

まして理解もできません。

ぼくは最初聴いて、玉造って聴こえましたもの。

歌詞カードを読んで初めて、タバスコり? と思ったくらいで。

でも、このフレーズがすごくいいアクセントで耳に残るんです。

 

アコースティックギター+フラットマンドリンという、

フォークデュオに近いスタイルに見えるけど、

ジッパーズって実はラッパーなんじゃないかと思うんです。

疾走するフラマンにからみつくギターがつくる変化に富んだリズムが、

聴くものに適度な緊張感と音楽的快感をもたらします。

言葉とリズムの融合によって歌詞の中の言葉がサウンドと化したときに、

それは頭で理解するというよりは、

体全体で受け止める音楽になっているということ。

そこにこそジッパーズの真骨頂があるのだと思います。

 

感情の慇懃無礼でフリーズでしょう

愛想ない自由 アンチ堕落な感情でそっと解凍

(喜怒哀楽)

 

という歌詞にも意味はあるのかしら。

たぶん作者に訊いてみないと真意は理解できないでしょう。

ライブの聴き手は、ただ言葉と言葉がぶつかりあい、共鳴し合う、

「音」の響きの関係性に言葉の意味が色彩を添える、

そういうアートとして楽しめばよいのかもしれません。

 

この曲の間奏のフラマンの美しいこと。

以前、

デビッド・グリスマン・クインテットはお好きですか?

と訊いたら、いいですねえというお答えでした。

なんか、あの日向ぼっこしてる感じなんですよねえ。

フラマンとギターのアンサンブルが。

 

君が笑うと僕はつられた 僕が笑うと君もつられた

いつまでもこのまま

プラネタリウムの恋)

 

これはとってもかわいらしい歌。

うめなかでもカバーできそうな曲調です。

でもこんな清新なボーカルはジジババには無理。

女の子とつき合い始めて間もない男の子の自信なげで、

それでも前向きに、ひたむきに恋を育てていこうとする

けなげな思い、情感がうたわれています。

続けて、

 

合鍵のフェイクでもって アイツの部屋に滑りこんで

見慣れない歯ブラシと乱れたシーツにジェラシー

(フェイク)

 

という最後の曲はプラネタリウムの恋」の後日談なんでしょうか。

この曲だけドラムスが加わっています。

 

こうして4曲聴いてくると、うめはらなかせとまったく違う

音楽づくりに気がついて、いい勉強になりました。

ぼくらはわかりやすい曲、伝わりやすい歌詞を目指してきました。

言葉とメロディーは独立していて、リズムの要素はほぼありません。

対してジッパーズでは、言葉はサウンドの構成物であり、

それらがリズムと一体となって五感を刺激します。

リズムという武器があるからこそ成り立つ世界なのかもしれませんね。

うめなかにはリズム的快感はありません。

 

ジッパーズが純文学だとすると、

うめなかはエンタメ小説かなあ。

 

そうそう、YouTubeで見つけました。

ジッパーズ、こんな人たちです。

冒頭にちょっとだけ聴かせる演奏がプラネタリウムの恋」です。

www.youtube.com