こないだ読んで面白かった書評があります。
「ゲイリー・バートン自伝」
(論創社 4104円)を紹介した、
「涙ぐましきヴィブラフォン愛」
ゲイリー・バートンという人は、ヴィブラフォン奏者なんだそうです。
ヴィブラフォンをご存知だろうか。鍵盤のように並んだ金属製の音板を叩いて音を出す打楽器の一種で、下部に設置された共鳴管の中の円盤がモーターで回転し、音に振動を与える特別な仕組みを持つ……。
という書き出しで始まります。
ヴィブラフォンの説明からやっておかないと
読者にはわからないだろうという書評子の配慮ですね。
モーターで回転し……? ヴィブラフォンってただの鉄琴のことだと思ってたわー
しかも名称の由来となった特殊効果は、音程の高低(ヴィブラート)ではなく音量の増減(トレモロ)によるもの。正しくはヴィブラフォンではなく、トレモロフォンと呼ばれるべきだったという。歴史の浅い楽器ゆえ、命名をめぐる初期のどさくさの中で定着してしまったらしい。
ここを読むと、言葉では曖昧に知っていた「ヴィブラート」=「音程の高低」、
「トレモロ」=「音量の増減」ということがわかって、なるほどと膝を打ちます。
なお、引用文中の「著者」とはゲイリー・バートンのことを指します。
ところが、著者はそんな楽器を操る音楽家としてグラミー賞を七回も受賞している。ジャズはヴィブラフォンに日が当たる数少ないジャンルだが、そんな条件のもと、 ひとつの分野で頂点を極め続けるなど、なかなかできることではない。
そうなのか、ヴィブラフォンってジャズでよく使われるんだ。
知らんかったなあ。
それだけではない。著者の生み出す音楽は、他の楽器を演奏する音楽家にも多大な影響を及ぼしている。ヴィブラフォンとバートンが存在しなければ、決して生まれなかったジャズのスタイルがあるのだ。
そんな達成は、本書の随所で挟まれる自身が同性愛者であることの告白と、どうつながっているかは知らない。が、 ヴィブラフォンはサックスやトランペットのような花形楽器でないことへの深い愛情というか、ときに涙ぐましいまでの配慮には、なかなか泣けるものがある。
「花形楽器でないことへの深い愛情」
って、なんかわかる気がするなあ。
脇役には脇役の誇りがあるもの。
読み進めるうち、今のジャズがあまりにも定型化しすぎている気がしてきた。もともと歌あり踊りありの娯楽を求められる酒場で発達したジャズでは、ハーモニカやウクレレでソロがとられることも頻繁だった。ヴィブラフォンが最高峰にそびえるジャズがあってもいいじゃないか。
へ~~、ウクレレでソロがとられるジャズがあったのか、それは面白そう。
ね? これ、読んだだけで、けっこう「へ~!」な気分、味わえませんでした?
だから本を買うとこまでいかないんだなあ、いい書評だと。
ゲイリー・バートンの演奏って、こんな感じです。
なんて耳にやさしい音なんでしょ。
楽しそうなライブです。
楽器と演奏法の説明のところでは「ヴィブラフォン」ではなく、
「ヴァイブラフォン」と発音してますね。
ギタリストもゲイ? なんちゃって!