うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

名代の作詞家

名代富士そば

って立ち食いそばの店が東京にあります。

駅前とか通行量の多い立地に出店してるので、

出張のときに何度も前を通っているはずですが、

ぼくは食べたことないんです。

 

その富士そばの創業者の半生記が日経に連載されてます。

幼い頃から貧しい育ちと複雑な家庭環境ですごい苦労されてて、

でも、その境遇をものともしない努力と勤勉さで、

今日の成功を築いてこられました。

 

創業者(丹道夫氏)は10代の頃から

演歌の作詞家になるのが夢だったのだそうです。

で、店の数が50店くらいに増えた45歳のときに

通信講座で作詞の勉強お始め、55歳のときには

六本木の作詞学校の門をたたいたそうです。

5年間コツコツ勉強して、さらには別の勉強会にも通って、

白鳥みずえ(知らないです、すみません)って人がうたう

歌の歌詞が公募されてたので応募し、見事入選。

1997年に作詞家デビューします。

すごいですねえ。

「母娘舟(おやこぶね)」って歌です。

(知らないです、すみません)

 

ペンネームは“丹まさと”(知らないです、すみません)といって、

それから作詞の依頼が次々と舞い込むようになったそうです。

これまでに書いた曲は950以上、

うち30曲あまりがCDになったそうです。

これもすごいですねえ。

 

五木ひろし天童よしみ水森かおり三沢あけみ……に歌詞を提供。

(みんな知ってます、よかった)

そして島津悦子の「港のかもめ」は5万枚を超すヒットに!

(歌手も歌も知らないです、すみません)

これまたすごいですねえ。

一番のお気に入りの作品は五木ひろし「宿り木の花」だとか。

(またまた知らないです、すみません)

 

こうして作詞家として順風満帆の歩みを続けていたのに、

漫画家の東海林さだおと雑誌の対談で出会います。

「作詞家は長年の夢でした」と話したところ、

「君はまだそんなことを言っているのか」

と叱られたそうです。

この創業者さん、もう80歳を過ぎておられるのに、

東海林さだお「君は」って上から叱るんですね。

東海林さだおはもっと上なんでしょう(知らないです、すみません)

 

富士そばには何百人もの従業員がいて、

その従業員には家族もいて生活もかかっているのだから」

と、社長としての自覚を促されて、

今春、作詞家稼業から完全に引退したそうです。

大手レコード会社からの依頼もあったのに断って。

 

なんともったいないことって凡人は思いますよねえ。

それと能力のある人は、なにをやってもできるんやって感心します。

この人の場合は、できるまで全身全霊の努力を傾ける

ということだと思うのですけれど。

 

で、この記事を読んでからというもの、

次に東京に行ったら、絶対に名代富士そば

食べて帰ろうって思ってるんです。

立ち食いそばだけど、BGMが(たいていは演歌が)

流れてるそうです。