うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

音楽訴訟合戦(後)

さて、だれも興味ないであろう一昨日の日記の続きです。

グッドワイフ」というアメリカドラマについてでした。

Aという有名ラッパーのヒット曲に、

歌詞はそのままでメロディーを変えて発表したミュージシャンBを、

Aから二次的著作権を独占取得しているテレビ局が訴えるという話です。

 

そもそもはテレビ局がBのつくったメロディーで替え歌にして、

ドラマに使用してネット販売したことで、

Bがこれを盗作だと訴えたことで訴訟が始まったのですが、

テレビ局は逆に、二次的著作権が侵害されたとしてBを訴えたのです。

 

裁判官は次のような決定を下します。

 Bさんの曲は許諾のない二次的著作物のため保護されていません。

 妙でしょうが、原告(テレビ局)の盗作は適法です。

 原告には二次的著作権があるのです。

 

で、ここに来て主人公(Bの弁護士)は鮮やかな主張の転換をします。

 もとはラップだった曲を、Bさんはリック・アストリーふうに

 感傷的にうたってみました。

 攻撃的なラップをやさしくうたってウケを狙った。

 すなわちパロディーで笑いを誘おうとしたのです。

 Bさんの曲がもしパロディーなら、これは「変容した作品」といえます。

 裁判長は、テレビ局の盗作行為を認めましたが、

 Bさんが著作権者の許諾を得ていなかったことだけを問題とされました。

 しかし、Bさんの曲がもしパロディー作品なら

 許諾の有無に関係なく保護されます。

 変容――作り変えられた独自の作品ならそこに著作権が生じ、

 原告(テレビ局側)の盗作はその著作権を侵害したことになるはずです。

 

この主張に裁判長は目を丸くして、

 では、Bさんの曲を変容した作品だと証明してください

と原告に促します。

 

そこで原告側証人(音楽学の専門家)が呼ばれます。

 (弁護士)音楽学の専門家から見てBさんの曲はパロディーだと? 

 歌詞が原曲と同じでも?

 (証人)だからこそです。

 曲調だけ変えたことで、女性蔑視的で虚無的な歌詞が際立っています。

 

これに対して被告側の証人、

 これはパロディーじゃありません。歌詞は同じだから。

 盗作して表紙だけ変えた小説をパロディーとは言いません。

 元の作品を保護するべきです。

と真っ向対立です。

 

テレビ局側弁護人もオリジナル曲のラッパーAを呼んで証言させます。

 (弁護士)この曲のねらいは? 

 (A)俺は歌詞のなかで、女を蔑んでる男をおちょくってるのさ。

 (弁護士)ラップの定番である高慢なスタンスを風刺したのですか?

 (A)そんなところさ。

 (弁護士)それではBさんと同じですね。

 Bさんはあなたの風刺をさらに風刺した。

 (A)まあ、そんなとこだ。

という原作者の言葉を引き出したうえで、

 変容的作品には変容性が求められます。

 Aさんの曲こそが変容的作品です。

としてBの曲の変容性を貶(おとし)めようとします。

 

それまで、この丁々発止のやりとりを見ていた原告Bは、

 超クールだ、ジャズみたいだな。

 “リーガル・ジャズ”だ。

と他人ごとのように感嘆します。

 

次々と変化する局面に応じて攻め口を変えていく弁護士の、

ああ言えばこう言う口八丁の即妙さ加減は、

まさに即興芸術のジャズもかくやといわんばかり。

そんな法廷での駆け引きこそが、

この「グッドワイフ」の見どころの一つなんですよねえ。