「応仁の乱」って新書がベストセラーになったって
ニュースになってましたよね。
まだ読んでないんですけど。
京都では「前の戦争」というたら応仁の乱のことっていわれます?
実際に耳にしたことはありません。
前の戦争というたら蛤御門の変っていうのも聞かないなあ。
ともあれ、東陣っていうのがいま注目されてるそうです。
「東陣」は、1467年から11年間続いた応仁の乱を経て、
西は小川通は堀川通の間である東軍跡地に位置する地域名である。
ってことでなんとなくエリアはわかります。
一方の西陣、すなわちは西軍の陣地跡では、
乱のあと、織物職人が戻ってきて織物づくりを再開して、
その織物は全国で売られ、「西陣織」の名は全国ブランドになります。
しかし、「東陣」という名前は忘れ去られるわけですねえ。
ぼくが気になるのはその「読み」です。
「ひがしじん」なのか「とうじん」なのか。
西陣が「にしじん」だから当然、東陣は「ひがしじん」、
だけど、それじゃ語呂が悪い、言いにくいってことで、
残らなかったんじゃないでしょうか。
ところで、ぼく、京都は下京区の生まれなんですけど、
上京区に対しては小さい頃からコンプレックスがあります。
(なかせさんが嫌味にも自分は上京生まれだと言い張るんです)
上と下って、なんだかあからさまな上下感覚がありますもんねえ。
でも、こんな記述がありました。
しばしば、応仁の乱で京都が全焼したというイメージが持たれがちだ。
しかし実際には、幕府有力者の武家屋敷と、寺院・神社が集中していた
現在の上京に戦火が広がった。
下京には両軍勢の兵站線があったため被害は少なかった。
そのため、上京の復興を被害の少ない下京から行うことで、
比較的短い時間ですませることができた。
この大乱がきっかけで現在のように上京下京の街ができたのである。
なるほど~、下京は上京の復興を助けたんですって。
これはちょっと自慢できそう。
ちなみに今年2017年は応仁の乱のぼっ発から550年目だとか。
だれが興味あんね~~~~~ん!