うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

南朝の風林火山

久しぶりの読書感想です。

(これ、人気ないんです~)

あれから何冊も読んでるんですけど、

感想文って難しくて。

あらすじを書けばいいってことでもないし。

読んで自分なりに感じたことを書けばよいのですが。

 

で、今回はこれ。ぼくにとっては初北方謙三。 

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これは父の蔵書で、読まれた形跡がありませんでした。

単行本に、栞(しおり)の代わりに付いている紐、

(正式名称は「スピン」というそうです)

これが使われた跡がないんです。

 ただ父が読まなかった理由は、ページをめくってすぐわかりました。

 

主人公は、北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)。

学校の日本史では習った記憶がありません。

父親の北畠親房は「神皇正統記」を書いた人として暗記しました。

南北朝時代南朝側の正当性を主張した歴史書ですね。

その親房の長男の顕家(あきいえ)、

前回紹介した蘭陵王(らんりょうおう)とかぶるところがあります。

どちらも若くして秀でた頭脳に恵まれ、武芸に優れ、

貴族であり武将というところも共通しています。

眉目秀麗、イケメンというのも共通してますけど、

証拠はないようです。

 

建武の新政では、鎮守府大将軍として

義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した

ウィキペディアありますが、

そのときなんと15歳。

のち足利尊氏との戦い建武の乱が起こると、西上し、

第一次京都合戦で新田義貞楠木正成らと協力して

これを京で破り、九州に追いやった。

 

陸奥の国というと現在の福島県宮城県岩手県青森県

そこから京都までって大変な距離なのに、

おまけに足利軍の迎撃もあるのに、

育成した騎馬軍団で駆けに駆けるんです。

随行する徒の兵がかわいそう)

その快進撃にはワクワクするのですが、

なにせぼくらは足利尊氏室町幕府を開く歴史の現実を

知っているわけですから自ずと結末は想像できます。

悲劇的な最期も蘭陵王と同じですね。

戦場で死ねる顕家(あきいえ)のほうがマシかな。

享年、なんと満20歳! 

若いです。

大昔のことながら惜しい人を亡くしました。

 

というのも顕家は武に優れていただけでなく、

いろんなことに思いを致すことができ、

世の乱れを憂えて意見書をしたためる文の人でもありました。

いわゆる文武両道に秀でた人物で、

北畠顕家上奏文」という、

後醍醐天皇を諌める奏上文を書いているのです。

小説の中では、戦で疲弊する民や、

志半ばで死んでいく武士たちを目の当たりにして、

自分たちはなんのために戦っているのかと煩悶する姿が描かれます。

主上は全国の武士に京都へ駆けつけよという綸旨を乱発するばかりで、

不平を抱く武士の願いに応えようとせず、

下々の苦しみをわかろうともしておられない、と。

なぜ足利尊氏のもとに多くの武士がはせ参じるのか、

その意味を考えたことがあるのか、と。

 

奥州藤原氏の残党らしき「山の民」の協力を得て、

陸奥を独立させ、京都の政治と切り離すことで、

理想の国づくりを目指すことも脳裏をよぎりますが、

それでは日本を分断してしまうことになると考え、

顕家は最後にもう一度京都に上ります。

詳しくはこちらのサイトへ。

senjp.com

敗北する官軍を描いた小説を読むのは初めてでした。

ぼくが読んでないだけなんでしょうけど。

 

てことで、結末が悲劇とわかっているから

闘病中の父は読みたくなかったのでしょう。

その頃、絶対にはずれがないとぼくが信じていた吉村昭の小説を

父に差し入れたのですが、読みたくないといわれました。

「長英逃亡」でした。

そういえば高野長英も長い逃亡劇の末に

無残な最期が待ち受けていますものね。

ぼくはそのことを知らずに、吉村昭だからいいだろうと、

無神経な差し入れをしたものです。

 

しかし、悲劇かどうかは別として、

人間みな結末はわかっているんですねえ。

わかっているけど、ふだんは見ないふりをして、

次のライブが早く来ないかしらとか、

結末が近づくことを楽しみにしてるわけで、

呑気なもんです。

 

そうそう、風林火山といえば武田信玄の旗印ですが、

それよりはるか前に北畠 顕家が使っていたという伝説があるんですね。

そのことも初めて知りました。