という名前はよく新聞の新刊広告で見かけました。
「又々パイプのけむり」とかって、
延々と巻を重ねる人気エッセイストとして知っていたというか。
ただ読んだことはなかったです。
その團伊玖磨の本が整理をしてたら出てきました。
本棚の奥でホコリをかぶってたのが、これ。
「好きな歌・嫌いな歌」
1977年に出版された本で、
ぼくは社会人になったくらいのときに書評を見て買ったんでしょう。
パラパラと目次をめくって気になったのが、
「襟裳岬」でした。
こんなふうに書いています。
「襟裳岬」を調べて、まず気づくことは、
従来の流行歌よりも一段と歌うのがむずかしくなっていることだろう。
一度聴けばすぐ口ずさめたような、
昔の流行歌の音楽的な幼稚さ
を見事に飛び越して、この歌は、小気味よく美しい。
へ~え、ベタほめですよねえ。
「一度聴けばすぐ口ずさめたような、昔の流行歌の音楽的な幼稚さを」
ってとこを読むと、タイトルの「嫌いな歌」ってのは、
昔の流行歌のことだとうかがえます。
しかし、この歌って、難しかったんだって思いました。
著者はそれまで吉田拓郎を聴いたことがなかったのか。
印象はぼくにはありませんでした。
いかにも吉田拓郎らしいメロディーだなとは思いましたが。
引用を続けます。
特に、
襟裳の春は……
何もない春です……
のルフランの旋律の頭が、第四音のフアから下がってくる音形は、
絶対に!絶対にいままでの日本の流行歌にはなかったイディオムである。
作曲者もきっとこの部分をよくできたと考えたらしく、
寒い友だちが
訪ねてきたよ
遠慮はいらないから
暖まってゆきなよ……
の終りの部分に、もう一度このメロディーを繰り返し、
作詞と共にクライマックスを作り上げている。
ところで、ルフランってわかりました?
調べたらフランス語でいうリフレインなんですね。
リフレインは――
有節形式の詩句を歌詞にもつ声楽曲において、
一定の間隔をあけて規則的に繰り返される同一の詩行をさす。
この詩行は通常一行から二行で、この部分では歌詞だけでなく
音楽もまったく同じとなっている。
これに対し、変化する部分はスタンザstanza(英語)、
バースverse(英語)、クープレcouplet(フランス語)などとよばれ、
たいていの場合、その各部分の後ろにリフレインが置かれる。
その結果、不変の部分と変化の部分の対立および不変の部分の反復によって、
声楽曲に変化を内包した統一の原理が与えられることとなる。
へ~~~~!
知らなかった。
歌の様式がそういうふうに決まってたのか。
とくに最後の2行は納得です。
ほかの人が書いてるブログい、スタンザって言葉が出てきて、
なんのことかしらって思ったことがあります。
三菱自動車に「スタンザ」ってあったなあとか。
エッセイに戻ります。
次は歌い手の森進一について語っています。
森進一の声は、だれもがいうように個性的な声である。
ふつうの人の声は、倍音が上に響くのに、
この人の声は下の倍音が響く。
だから、それほど高くきこえないのだが、
実際には非常に高いテノールである。
そうそう、森進一の声って高いですよね。
ぼくも若いころに「襟裳岬」をうたってみて、
そのことに気づきました。
下の倍音が響く人は実際よっりも低く聴こえるってこと、
あるんですね。
ハンバートハンバートの歌をなかせさんにうたってもらうと、
すごく高いことがわかって、意外に感じることがあります。
なかせさんは逆に倍音が上に響くタイプなのかしら。
ぼくが好きな例の、
襟裳の春は……
のルフランの歌い出しの音は、驚く勿れ五線の上のAフラットである。
この音はよほど訓練された声でなければ出せぬ高音である。
ふつうの人は、その減四度下のEの音ぐらいまでが精々である。
ぼくはCSNYやS&Gを聴いてたから、
Aを出すの歌い手は聴き慣れてたんです。
ふつうの人はEまでなんだ。
そういえばグラハム・ナッシュは
ハイパーテノールといわれていました。
この人の声は、あたかも意識的に荒いグワッシュに描かれた
繊細な絵を連想させる。
グヮッシュが荒いために、描かれた絵のデリカシイが悲しく美しく生きる。
あの独創的な声だからこそ、あの繊細な歌い方が生き、
そのとり合わせが、この世の哀歓を見事に歌い綴ることを可能にするのだ。
昔の春の歌では、必ず花が咲き、鳥が歌った。
そうした月並さを吹き飛ばして、
この歌では、何もない襟裳岬の春が歌われる。
また出てきましたね。
「昔の春の歌では、必ず花が咲き、鳥が歌った。そうした月並さを」
ってとこにも、そういう昔の歌が嫌いなのかと匂ってきます。
それでまたグヮッシュとは聞き慣れません。
不透明水彩絵の具の一。また、それを用いた絵画や画法。
へーー、美術用語だったんだ。
時代は、どんどん新しく変わっているのだ。
森進一君にしても二十年前だったら、
ほとんどの人があのすばらしさを理解せず、
レコード会社のディレクターも、
彼を歌手として登場させることに二の足を踏んだに違いないと思う。
日本の現代は、彼のすばらしさを理解するだけに新しく変わってきたのだ。
感覚はどんどんと新しく変わる。
古くささの標本のような流行歌は、もうたくさんだ。
新しさをいくつも持った「襟裳岬」に乾盃しよう。
いや~、何度も書いちゃってるじゃないですか。
古くささの標本のような流行歌は、もうたくさんだって。
書名どおり「好きな歌」をほめ、「嫌いな歌」をくさしてるんです。
だけど、実名を挙げてない点はまだまだ筆が鈍いなあ。
あ、そこで勝負してる人じゃなかったっけ?