前に紹介した「ペリリュー玉砕」、
だいぶ前に読み終えてまして、
最も驚いたのが島での激闘の記録というよりも、
軍人さんの失業対策の話でした。
よく戦前・戦中を描いたドラマに、
学校での軍事教練の風景が出てきますよね。
あれは軍国主義の高まりとして描かれることが多いんですけど、
実は軍縮の結果だったんですね。
こんなふうに紹介されていました。
【学校配属将校制度の導入】
大正十四年(一九二五年)十一月、
いわゆる「宇垣軍縮」である。
この軍縮によって既存の四個師団が廃止され、
約三万四千人もの将兵が軍籍を離れた。
この軍縮の一環として始まったのが、
「学校配属将校制度」である。
第一次世界大戦後、「総力戦」への意識が世界的に高まる中で、
学校教育の現場に軍事教練を取り入れることは、
各国で議論された課題であった。
(中略)
同制度には、軍縮の影響を被った軍人への失業対策という側面もあった。
本の主人公、ペリリュー島守備隊指揮官となる中川州男も、
この制度で福岡県立八女(やめ)工業学校に配属されます。
彼は陸軍士官学校卒でありながらも、
本流からの離脱を余儀なくされたわけです。
もともと中川家が教育者を輩出する家柄だったこともあって、
本人はこの処遇に恬淡としていたようですが、
不満を抱えた軍人も多かったのではないでしょうか。
軍人がたくさん失業するときにどう転用するか、
どんな「平和利用」が必要なのか、
そこは国や時代を問わず、為政者にとっては難しい問題のようです。
秀吉の朝鮮侵攻も、戦国時代が終わって用済みになる武士たちの
新しい働き場をつくるためだったという説を読んだことがあります。
で、同じようなことが立場を変え、
蒙古襲来についてもいえるという話があって、
これは「王道楽土の戦争」という本に出てきました。
長くなったので続きは次回ということに。