リーダイ
と、亡くなった父は縮めて呼んでました。
「リーダイ」の略称で親しまれた。
とウィキペディアにもありました。
リーダーズ・ダイジェスト/Reader’s Digest
これ、父が購読していて家に何冊もあったので、
小学生だったぼくはときどきページをめくっていました。
A5判(?)の手に取りやすいサイズで、
写真や広告の多い、子どもにはずっしりと重い冊子でした。
ネットで調べてみると、こうなってました。
1922年に創刊されたアメリカの月刊ダイジェスト誌。
世界の主要な雑誌,単行本のなかから
一般的な興味のあるものを要約紹介する雑誌であるが,
厳格な選択基準による良心的な編集で,
現在では世界各国で翻訳されている。
発行部数はアメリカ国内で千数百万部,
各国語版を含めると3000万部をこえるといわれる。
日本語版は 46年6月に創刊されたが,85年に廃刊となった。
へ~~、日本語版は廃刊になってましたか。
面白そうな本のさわりだけ紹介するって、
なかなか目の付け所のいいビジネスモデルですよね。
で、ぼくが最近読んでる、
「ペリリュー玉砕」
ペリリューっていう島の名は、
リーダイに掲載されていたから知ったんです。
海兵隊員の手記かなんかのダイジェスト版を読んだんだと思います。
この新書「ペリリュー玉砕」は、
副題が「南洋のサムライ・中川州男の戦い」とあって、
日本軍守備隊長、中川州男大佐の物語が中心のようです。
(まだ最初しか読んでなくて)
パラオ訪問から序章を書き起こしています。
沿道の警備にあたっていた警察官の言葉――
「両陛下のパラオご訪問は、我が国が経験する最大級の行事でした。
万が一の場合に備えて優秀な狙撃手を手配するなど、
我々は入念に準備しました。
もちろん、当日は大変な緊張感でした。
私か驚いたのは、両陛下の車の速度が非常に遅かったことです。
さらに、両陛下は窓を開けて笑顔で手を振りました。
安全性を考えれば、窓を閉めてもっと速く走るべきなのです。
私は思わず上司に『あれでは危ない!』と声を上げました。
すると上司は『それが天皇の要望なのだ』と答えたのです」
それは陛下がずっと慰霊の旅を望んでおられた島でした。
激しい戦いがあったからです。
ペリリュー戦とは、幾つかの意味で異色の戦闘であった。
約一万人の日本軍守備隊に対して、米軍の総兵力はおよそ四万二千人。
戦力の差は明らかであったが、日本軍は島じゅうに張り巡らせておいた
地下壕を駆使して徹底抗戦を試みた。
結果、米軍最強と謳われた第一海兵師団は、
「史上最悪の損害」を被ったとされる。
ではどんな戦いだったのかと興味は尽きないのですが、
本書は、守備隊長である中川州男大佐の父親、
文次郎が参加した「西南の役」を第一章として始まります。
リーダイの話を書いたら長くなってしまいました。
続きはまた今度に。