うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

バンドと民主主義

朝日新聞のコラムに、おっと共感することが書いてありました。

全文紹介します(青字が引用文)。

著者の後藤正文氏はミュージシャン。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターです。

 

後藤正文の朝からロック

バンドと民主主義似ている?
2018年12月26日

複数の人間が集まって楽曲を制作するのは、

難しいことだと改めて思う。

 

思う思う、なかせさんとふたりだけのバンドでも思う。


メンバーの意見をすべて反映させると、

先鋭的なアイデアは平均化されて鋭さが減り、

音楽的な面白みが減ってしまうと感じる。

 

そうそう、うめなかの場合、

カラオケミュージックみたいになってしまう。


一方で、誰かのアイデアを実現するために

他のメンバーが我慢するような状況が続くと、

現場の空気が悪くなって、

作品にも気まずいフィーリングがいくらか混ざり込んでしまう。

 

なるなる。

なので、なかせさんがコテコテの演歌や懐メロがやりたい

と言い出したときは、一方的に拒絶するのではなく、

ギターワークを工夫して、ハモも考えて、

自分なりにかっこいいと思えるアレンジにしようと努めます。

これって哲学でいう正・反・合ですね。


悩ましいことだ。

 

そう、でも、ものには限度というものがあって、

どうやっても解決策が見いだせないときもあります。

そんなときは、なかせ提案はお蔵入りってことですね。


バンドの空気を乱したとしても、

作品の美しさに向かって邁進したいという気持ちが僕にはある。

すべての意見を通すことができたら、どれほど幸せか。

 

そこまでの高尚な気概はぼくにないけど、

言いたいことはよくわかります。


けれども、専制のような方法で音楽を作り続ければ、

いつかメンバーとの折り合いが悪くなって、

バンドは瓦解してしまうだろう。

 

専制はできない。なかせさんにも五分の魂。


バンド運営のもどかしさと民主主義の面倒臭さは、

似ているところがあるのかもしれないと、ときどき僕は考える。

バンドは途中で投げ出せる。バンドをやめても僕の人生は続く。

 

この「転」が上手!


国家や社会となるとそうはいかない。

何度も話し合いながら、

すべての成員がなるべく気持ち悪くない落とし所を、

探し続ける以外に方法がない。


それは楽曲制作とは違って、

美しさを追い求めるというより、

醜いところをひとつずつ改めてゆくことに近いのかもしれない。
 

おっしゃる通り!

民主主義って面倒くさいけど、これしかないです。

バンドは面倒くさいけど、なかせさんの意見も聞くしかない。

と民主主義を信奉するぼくは思うしかないんですねえ。

ああ、めんどくさっ!