うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

見るべきほどのことは

うめなかには「練習中」という赤色のファイルがあって、

そこに何十曲も新曲予備軍が入っています。

やりたい曲はいっぱいあるけど、

やる気と技量が足りなくて実現できないんです。

 

最後にみのさんにお会いした3月の府庁ライブのとき、

みのさんがおっしゃった言葉で印象的だったのは、

俺、もうやりたい曲ないねん

というもの。

それはやりたい曲がなくて残念だという意味だったのでしょうか。

ぼくらやりたい曲がいっぱいあるんです

と言うと、

ええな

と、おっしゃった気がします。

それはうらやましいという意味だったのでしょうか。

俺も昔はそうやったわ

ってことなのでしょうか。

あのときみのさんはどういうお気持ちでそうおっしゃったのか

ずっと考えています。

 

みのさんのように音楽活動を続けてこられたら、

自分なりにやりきった、もう満足だと思えるときがくるのか――

あるいは音楽は生きる意欲と連動しているものなのか――

どうなんだろうと考えてしまうのです。

 

見るべきほどのことは見つ

と言って海中に身を投じた平知盛のことを思い出します。