うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

思い出ばなし

エゴノキは残った

知らない間に梅雨入りしてたんですね。 知らない間に花が満開でした。 いったいこれはなんじゃろかい。 嫁はんに言わせると、毎年のようにぼくはその存在を忘れてるそうです。 えごの木 なに、それって思うんですよね。 調べてみたら、エゴノキでした。 学名…

MD遺産

いまではなんの役にも立たない透明シールが見つかりました。 MDのケースに貼るシールです。 下の図はシールの裏面で、使用法が書かれています。 MDディスクにラベルを貼った上に ケースにもラベルを貼るんですね。 そしてご丁寧にもその上から透明のシー…

かわみち屋の蕎麦ぼうろ

うめはらさんが、mixに丸太町のかわみち屋がなくなってるって 書いてはってね。 子供の頃は、蕎麦ぼうろはご馳走、上等のお菓子でした。 丸太町かわみち屋|京都市中京区 土産・和菓子 / 蕎麦ぼうろ (kawamitiya.co.jp) お葬式の会葬御礼のお菓子、お供養の定…

おみくじ雀

昔の日記を読んでいて唐突に思い出しました。おみくじ雀のことを。 いままでまったく忘れていました。 これを見たのは小学生の頃、 場所は新京極にある神社だったと思います。錦天満宮だったかしら? nishikitenmangu.or.jp 小学生のぼくにとって新京極通り…

人生のことはすべてお使いで学んだ?

「はじめてのお使い」なんてテレビ番組のコーナーがありましたね。 ぼくも子どもの頃にお使いはけっこう使われました。 おつかいのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや ぼくは4人姉弟の末っ子で、小学生の間はみんなお使いに行ったんやし、今度はあ…

フォークは素で聴きたくないですか?

60~70年代、フォークグループってテレビに出ると、 なぜか生演奏をしないのが普通でした。 PP&Mとかブラフォーはテレビでもきっちり アコースティックの演奏スタイルを見せてくれますよね。 それこそが自らの「音楽」だからじゃないでしょうか。 た…

師匠はベッツィ&クリス

先日、「師匠はKとブルンネン」と書いた、 その舌の根も乾かないうちに、今度はこれ。 ベッツィ&クリスがこれまた師匠と思ってるんです。 ギター一本男女デュオではないけれど、 ギター一本フォークデュオ。 特にぼくが高く評価してるのは、 ギターを弾い…

師匠はKとブルンネン

うめはらなかせを始めたのは10年以上前でした。 ギター一本の男女フォークデュオって、 知り合いのアマチュアバンド仲間にはいなくて、 さて、どんなふうに自分たちの音楽をつくっていったものかと 暗中模索でした。 アマチュアなんだから、 ふつうにギタ…

京都でゲリラ?

写真の整理をしていて直径1センチほどのバッジが出てきました。 ぼくが卒業した京都市立永松小学校の校章です。 永松の「永」をデザイン化したものですね。 こういうのは捨てづらいです。 永松小学校は京都市のど真ん中、 四条河原町交差点から歩いて5分ほ…

見つかったデモテープ

今日は手抜き日記にさせてもらいましょう。 作成にかける時間が短かろうが、長かろうが アクセス数に関係ないとこがあって、 そもそもなかせさんが書いてる日記のほうがアクセスが多いって、 前にも書いたと思うんですけど、 なので今日は自分の話をちょこっ…

ひんやりしてきました

今朝は長袖が欲しいぐらいです。 27日のライブには、着る物をきめていて それがすべて夏仕様。 「夏もん、着たはる」状態になりそうです。 先日のライブ映像では、私は棒立ちで、 手を動かすわけでなく、ちょっとステップを踏むわけでなく ほんまに愛想な…

親指の思い出

富士通「親指シフト」40年で終了 という日経の記事(5月ごろ)を読んで一抹の寂しさを覚えました。 「親指シフト」というのは富士通が考案した入力方式です。 ぼくは長年、親指シフトキーボードの愛用者でした。 最初の出会いは、1982年でしたか。 1…

夏のあそび

子供の頃は、父の実家のとなりに住んでいて おばあちゃんが裏庭でちっちゃな畑を楽しんでいました。 何しろ室町通に面していたその奥だから、どれくらいの 畑か知れたもんです。 夏になると、仏さんのお供えにもする「ほおずき」を おばあちゃんがくれて、よ…

ほってほって またほって、かついでかついで 炭坑節

真夏の暑い盛り、毎年楽しいお見舞いカードを 送ってくれる友人がいます。 今年は飛び出るカード かいらしいでしょ。 盆踊りも花火大会も中止になり、 京都の人の夏の区切り、大文字も中止になって 淋しいかぎりです。 盆踊りのカードを送ってくれた友人は、…

どきどきしたのが恥ずかしい

テレビは再放送ドラマのはなざかり 日曜日、何か面白いのやってないかなあと チャンネルを替えていたら、 ↓のドラマが www.cinemacafe.net あれから25年 あの頃わたしは40歳ちょっと、毎週なんだかだと言いながら 娘と見ていたんです。正直楽しみにね。 …

丹波橋から三条へ

また古い写真です。 四条大橋の南にある団栗橋から北を撮ったもの。 西側が中華料理の東華菜館で、東側に見えるのが四条京阪。 京阪電車のホームがまだ地上にあったころの写真です。 線路の東側は疎水が流れていました。 鴨川の中に入っている人は川魚を獲っ…

ポリアンナ

私達が少女だったころ、少女パレアナ「村岡花子訳」を 読んだ人も多かったように思います。 バンドのお知合いで、ポリアンナさんと呼ばれる明るい上品な女性が おられて、ぴったりだなっと思ってたんです。 クリさんが「ポリアンナ症候群」と言う病気がある…

懐かしい乗り物

父の残した写真です。 何を撮りたかったのかがわからない写真が多いです。 絵心がなかったんでしょう。 この写真は右端の男性ふたりが見ているものを撮っていて、 つい横を走っていくバタバタ(自転車バイク)にファインダーを向けたのか。 商用自転車ってい…

青春のマドンナ

って古い言い方だなあ。 ぼくの場合は、この女優さん。 大学生の頃、見ていたドラマのヒロインでした。 かなり昔、明石家さんまが、 ぼくの好きな女優さんは徳永れい子さん ってテレビで発言したときはびっくりしました。 知る人ぞ知るのマニアックな女優で…

あの頃、町は汚かった

家にいる時間が長いので、録画番組の消化がはかどっています。 先日はNHKの土曜ドラマ「少年寅次郎」(全5回)を見ました。 団子屋「くるまや」のセットが映画と同じで懐かしく、 出演者も映画に合わせてキャスティングされ、 映画の役たちの「少年時代…

あれから何年たったのだろう

昨夜はコロナの治療現場のテレビ番組があって 友人からすすめられたのですが、チャンネルを合わせて 見たとたん、怖くなって消してしまいました。 そんな時、fbに、ライブの写真をアップして下さる方がいて 気持がちょっと晴れました。 今でもツヤツヤで若…

ここはどこ?(祇園祭編)

とうとう祇園祭の中止が決まりましたね。 応仁の乱と太平洋戦争以来のことだと新聞にありました。 疫病退散を祈願するお祭りが、逆に 疫病に退散させられるとはなんとも悔しい話です。 ということで、古い写真を整理していて出てきたなかから、 祇園祭のわか…

老残増幅器

オーディオにはこだわらない派です。 音楽を聴くのに、すごくいい音である必要は あまり感じていなくて。 ところが、若いころは「これくらいのアンプじゃないと」と、 安月給のほぼ一月ぶんをはたいて買ってました。 アンプ以外はあとからそろえればいいから…

雪の日と敬老乗車証

雪ですねえ。 ♪ わたくしたち京都市民は ♪ とPTA合唱団に入っていた母は、 京都市民の歌を家の中でもうたってました。 京都市民だった母は、晩年、敬老乗車証でしょっちゅう出かけてました。 一度、どか雪が降ったことがあって、 母の乗った市バスが洛西…

干し餅~ポン

岡崎のあたりを歩いていたら こんなのを見つけました。 甘党のお店の前に、 お餅を砕いたのが干してあったんです。 砕くと言うより、こまかく切ってありますね。 お正月が終わって、お鏡さんを割るとき金づちを 使ったことがありました。 カチカチだったけど…

あごの先が割れてる

先月、「アンロック/陰謀のコード」という映画を アマゾンプライムで観てたら、 マイケル・ダグラスが出てきました。 マイケル・ダグラス、まだ生きてたんや 年取ったなあ、脇役でしかも悪役やんかあ と思ったんです。 (映画は面白かったです) そしたら今…

ほぼ「単独」です

朝から雨、「朝の雨」って歌を思い出します。 www.youtube.com 足軽の権藤さん、ゴードン・ライトフットの歌ですよねえ。 昨日、なかせさんが「単独まで一月と一日」 って 日記を書いてましたけど、正確には「ほぼ単独」なんです。 うめなか2.23ライブ …

一房の葡萄

子供の頃、家には少年少女日本文学全集があって、 兄が読んだ後、面白そうなのを読みました。 ちゃんと読んだのを覚えているのは「次郎物語」 ぐらいで、私にとっては並んでいるだけの代物でした。 でもね、教科書に有島武郎の「一房の葡萄」がのっていて ほ…

琵琶湖疏水工事図巻

父の蔵書を整理していたら 琵琶湖疏水の100年 という重さ5キロほどありそうな画集が出てきました。 叙述編; 資料編; 画集の3巻セットです。 画集には蛇腹式に折りたたまれた絵が何十点と収められています。 疏水工事の様子を記録したもので、作者は洋画…

いつくしみ深き

親孝行の一つもせず母を見送ったのですが、 最後、母がホスピスで過ごせたことを 何よりだったと思っています。 母は末期の肺がんに腸閉塞を併発して、 点滴だけの生活になっていました。 若い頃、子宮がんになって、放射線治療をしたのですが、 その後遺症…